赤星より締まってて精細で、異常に降りる。とある大学で調べていただいたところカオリン系砥石で、電顕で見るとカオリンがコロニー状に牡丹の華のようになって散在しており、長石やシリカ結晶も巧く散ってます。 令和5年4月末、完全人力採鉱800Kg。翌五月中に1Kg超え60切以上100本卸。六月で計140本卸完売。 歩留まり向上のためこっぱも余すことなく採ります。お試しください。
大洲藩営砥山 唐川村山伊予砥ついて *歴史・鉱量*
- 藩政時代から永く続き昭和50年代、一番最後まで続いた伊予砥の砥山。維新以降の産量では伊予で最も強大。影浦山等々多くの砥山も唐川が擁する。
- 正六角形の柱状節理が20m近く立ち上がり大きな層があり、熱水変性をよく受けた下層は軟質で黒星、赤星が多いが、中〜上層でかつ、とある指向性で美しく鍛えが効いて、研削能力と粒度の揃いが良いものを原岩として製品化。
- 現品質はしばらく採れます。
- お陰様で伊予市唐川のみなさまの後押しあって、きれいに平盤状に鍛えの効く古伊予砥石の中興への足がかりへ。
- 山の様子、坑道、六角柱状節理や製品について
- 大洲藩の砥石役人 豊川堤 1821 ― 1905(文政四 ― 明治三八)年 新砥脈の発見や砥石産業中興と振興の足掛かりとした砥山で唐川で最大規模。幕末、龍馬運用のいろは丸所有した藩で知られ、砥部焼と伊予砥で藩財政は潤沢だったと思われる。維新後、砥山一帯は官有化されるが、払い下げ交渉を続け、ついに明治四〇年には村の民有地となった。その功を称え上唐川村山の麓に頌徳碑が今日も佇む。 堤の子、渉は「いろは丸」に乗り組み、その沈没に至る『いろは丸終始顛末』をのちに綴った。郡中町町長も務め日露戦争を経てロシア人捕虜を彩浜館に招き手厚く扱った。
*砥石説明*
- 砥石の中でも研ぎを支配するのは中砥といえる。
- 天然砥石は現在ではなかなか掘られておらず、人造砥石が優勢。
- 質の良い人造中仕上砥石も多く、天然中砥石ではなかなか太刀打ちできないのも事実。このたびは粒度を細かめに移行するものの条痕断面形状を丸底にして欠けにくさ。つまり永切れ性の下地造り、研磨力、硬質でカオリン雲母系過多による粘りが強烈で、使用において狂いにくい面精度の良い天然中仕上げとしておすすめ。
- 後の仕上げ工程の工数を減らせることも容易に実感できると思います。
- 伊豫國(愛媛県)で江戸期の大洲藩営の伝統ある伊予市上唐川村山から採鉱。
- 炭素鋼、特殊鋼、ハイス、粉末ハイス鋼まで幅広く適。手早く、よりキメが細かく、高精度に仕上ができます。
- 高硬質、高粘度で理想的中仕上砥石としてお試しください。
- カオリン雲母過多セリサイトなし性質かつ精細さを活用して、硬い粘りの少ない京都の仕上げ砥石の名倉がけとぎ汁だし用や、 金盤押しの終盤の研磨剤にもお試しください。この場合細かめなダイヤでの降ろし汁が便利と思います。
- 昭和期まで唐川で砥石業に従事し、工場遺構所有の村の代表によると品目分類では赤星に属するものの、小赤星で桜色星、極小みかん色星が原鉱で主力。星が小さいほど精細さに触れてきます。
*製品使用*
- 面直しは、#300前後のダイヤモンド砥石を使用。想定より荒目を宛がうと初回の研磨力が凄まじいのでお勧め。刃物では降伏しにくいので面精度管理において便利ながら、何故かダイヤモンドでは良く加工できます。
- ! 硬く粘る火成岩や人造砥石は目詰まりします。平面維持性能と自鋭性はトレードオフ。相反関係にあります。ダイヤモンド砥石で磨いて目立て、目起こし、ドレッサーして下さい。
- 従来の伊予砥等では共石(同じ砥石)で磨く共名倉掛けも良いとされますが、硬さの上に粘りが強烈なので、ツルツルになってしまうので、荒目のダイヤモンド砥石を強くお勧めします。
- 研ぎ水は研ぎはじめにかけてあげると、カオリン雲母由来のねばねばとぎ汁でなかなか乾きません。
- 水に漬けおくと僅かに研ぎ面に弾性を感じることがあります。
- 番手の参考としては#3000〜#5000級
- 卵色がかると星が小さくて梨地に見えます。この場合粒度はより精細傾向。
- 星がピンク色で梨地より大きくて、星一般より小さいと、 研削力が恐ろしく跳ね上がりますが、卵色系ほどの精細さは失われます。
- 従来の赤星や黒星の場合は粒度が#3000迄で軟質傾向かつ、鍛え効かない傾向なので四方面で使えます。
- 物量的に梨地とピンク大梨が大半で揃います。
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