砥石にせよ銘砥にせよ、第一に属するは道具。 人類が磨製石器時代から知っているいわゆる消耗品の大家でこれは普遍の原理といいたい。
耐久性を付与させること。 性能も最大限に引き延ばすこともできる。 これらはモノに対して末永く愛着を持たせるに至らしめることに。 けれども、それは最も自然に近しいところにあるもの。そしてそれは最もはかないといえよう。
自らは世に優れた道具やモノを遺し続けることと引き換えに。 使った時の本当の心地の良さを思い出させることと引き換えに。 つくろいともったいないを大切にする姿勢へと、人々の目を向けさせることと引き換えに。 日々磨滅し命尽き、姿を消してしまう。
日々のくらしにおいて多くは不可視でありそれを思う機会もとても少ないことではあるけれども、神代より日本人が道具をモノを奴隷的に扱わないという心根を植え付け続けるためのいわば、日本の種であるといいたい。 待ちわびた春の桜のように、至極短命ではかないものでも心動かし続ける種であると。
国土の75%が山岳と森林地帯で満たされてしまうことと引き換えに享受できるもの。 唯一性に満ち溢れ稀有である日本の自然界からそれが産し続かる限り、日本が日本たる種は後世へと運ばれ今後も受け継がれるといいたい。
例えば、観光資源の強みである世界遺産級の建築は多くの優れた先輩方の手による。 | もっと多くの優れた道具の後押しによる。 | 数えきれない維持のための優れた種々の消耗品からの下支えによる。 | 自然界から産し続けるもの へと、ちょうど海原に浮く氷山のように不可視である根へと続いているといいたい。
と、いうものの忘却の生き物が人間。 現代の便利な生活に見合うようなあたらしい銘砥さんの活かす道を模索してみることで、種が「ある」ということを思いだすための糸口なり頭をぶっ叩くショックハンマーになるのかもしれないかと。
もっと民生品としての芸も仕込んで視界に登場する機会を増やそうという、銘砥さんの野心。 かつて全国に産し、銘砥衆も各地域に置いていた日々を想うべく。 「ある」ということがどれだけ恵まれていてなんてラッキーなんだとおもいしらせる。
神道的だとか自然崇拝とまではいかないまでも 資源大国日本。 まちがいない。 |